トイレダッシュ (RunPee) はこうして始まった
トイレダッシュ (RunPee) のアイデアが生まれたのは、ピーター・ジャクソン監督による2005年のリメイク版『キング・コング』の公開初日の夜でした。上映時間は3時間超え。ジャクソン監督は『ロード・オブ・ザ・リング』を撮り終えたばかりで、「少し削りましょう」なんて言える人は誰もいなかったのです。終盤には、私たちはもう限界でした。ラストシーンをまったく楽しめませんでした。頭の中にあったのはただひとつ、「このゴリラ、いつになったら死ぬんだ? 早くトイレに行かせてくれ!」。
知るべき人たちの行列
ジル・フロリオ(現在はトイレダッシュ (RunPee) のCOO)と私が劇場を出ると、次の回を待つ人たちの行列ができていました。私たちは顔を見合わせて言いました。「誰か教えてあげるべきだよ。こんなに長い映画なんだから、あの気持ち悪い巨大昆虫のシーンでトイレに走ればいい。あのシーンは話の本筋とまったく関係ない。行くなら絶好のタイミングだ」
私は見知らぬ人に「トイレはこのタイミングで」と教えてまわれるほど社交的ではないので、二人でその話をして大いに盛り上がり、それで終わりにしました。(ジルはそこまで社交的なので、行列の全員に向かって「トイレに走るなら昆虫のシーンですよ!」と宣言する一歩手前まで行きました。)
その夜の夕食で、これをウェブサイトにしようという話になりました。そして、そのまま2年ほどすっかり忘れていました。当時の私はマイクロソフトで働いていて、副業に手を出すには少々忙しすぎたのです。
腕試しのためのプロジェクト
2008年、私はマイクロソフト(Xbox部門)を辞め、フリーランスの開発者になりました。履歴書に「マイクロソフト」とあればスタートとしては悪くありませんが、見込み客に見せられる、もっと具体的なものが必要でした。それに、新しいプログラミングのスキル、具体的にはPHPとMySQLを身につける必要もありました。
そこで、トイレダッシュ (RunPee) のアイデアがよみがえってきたのです。ウェブサイトと、データを追加・編集する管理画面を作れば、クライアントに見せるサンプルになる。それから4か月、私は空いた時間をすべてRunPee.comの開発に費やしました。
正直に告白すると、RunPee.comがちょっとした珍しいもの以上の存在になるなんて、夢にも思っていませんでした。新しいスキルを試すための、楽しいプロジェクトだったのです。
その夏の終わり、あるカンファレンスに参加したとき、主催者が私をステージに上げてRunPee.comを紹介させてくれました。終わったあと、みんなが「天才だ!」と褒めて祝福してくれました。そして、誰も使いませんでした。RunPee.comはその後9か月間、ほぼ放置されたままでした。
レオ・ラポルト、デイヴ・バリー、そしてNPR
2009年の春が近づいたころ、私は思いました。そうだ、RunPee.comにもう一度チャンスをあげよう。 そこで毎週できるだけ多くの映画を観て、ダッシュタイムを追加するようにしました。
ある日の午後、母の家でトイレダッシュ (RunPee) の話をしていると、母が「レオ・ラポルトのラジオ番組『ザ・テック・ガイ』に電話して紹介してみたら?」と言いました。ちょうど番組が放送中だったので、電話をかけました。出たのはプロデューサーの女性で、私は彼女にRunPee.comのことを話しました。CMが明けると、レオが笑いながら戻ってきて言いました。「このウェブサイト、ぜひみなさんに紹介したいんですよ……」
それが、RunPee.comが初めてメディアに取り上げられた瞬間でした。そして、それが最後ではありませんでした。そこからの数週間は、本当に胸が躍るものでした。
『ザ・テック・ガイ』を聴いていた誰かが、マイアミ・ヘラルド紙のデイヴ・バリーのブログにコメントを残しました。デイヴはこのアイデアをとても気に入ってくれて、短い記事を書いてくれました。要するに「だからインターネットが大好きなんだ。こんなクレイジーなものが存在するんだから」という内容です。
NPRの番組『オール・シングス・コンシダード』のプロデューサー、アート・シルバーマンはデイヴ・バリーのファンで、その記事を読んでいました。気がつけば、ラジオに電話してからほんの数日後、シルバーマン氏から「番組に出演しませんか」と電話がかかってきたのです。さらに数日後には、NPRのロサンゼルス・スタジオの防音ブースに座ってインタビューを受けていました。
そして……
ここから、と・ん・で・も・な・い・ことになりました。
1日に5件、10件、十数件とインタビューを受けました。ほとんどがラジオです。一日中インタビューを受けたあと、南アフリカのラジオ局の取材のために、朝4時なんていうとんでもない時間に目覚ましをセットしたのを覚えています。
誰もがアプリを求めていた
その間ずっと、SNSでは誰もが「モバイルアプリを作って!」と私に叫んでいました。
問題がありました。私は開発者ですが、当時はモバイルアプリの作り方を知りませんでした。特にiPhone向けは。私はPC派だったからです。アプリを作れるだけの知識を身につけるには1年はかかります。Androidも前年の秋に一応リリースされてはいましたが、持っている人はほとんどいませんでした。
いくつかの縁がゆるくつながって、アスリート向けのモバイルアプリを作るスタートアップを立ち上げた男性二人と知り合いました。トイレダッシュ (RunPee) は彼らの得意分野ではありませんでしたが、彼らをワクワクさせるタイプのアイデアだったのです。そのスタートアップの出資者の一人がジョーダン・パーマー。カーソン・パーマーの弟です。二人ともシンシナティ・ベンガルズのクォーターバックでした。
私たちはパートナーシップを結び、彼らはさっそくiPhone版トイレダッシュ (RunPee) アプリの開発に取りかかりました。約6週間後の2009年7月4日、アプリはApp Storeに並びました。最初の数か月はまずまずでしたが、私たちには何か大きな話題が必要でした。
ハード・ノックス
幸運なことに、その年のHBOの『ハード・ノックス』は、シンシナティ・ベンガルズを取り上げることになっていました。(『ハード・ノックス』は、毎年1つのNFLチームのトレーニングキャンプの舞台裏を追う番組です。)
それまでに重なった偶然を考えてみてください。プログラミングの腕を磨くためだけにトイレダッシュ (RunPee) を作ったこと。ラジオ番組に電話したこと。リスナーがたまたまブログにコメントし、それが記事になり、NPRの目に留まり、世界中で報道されたこと。そして今度は、私のアプリを作っている人たちの出資者が、たまたま『ハード・ノックス』が取り上げようとしているチームのプロのクォーターバックだったのです。もしこれが映画になったら、「9割は作り話でしょう」と私でも思うはずです。
ただ、ちょっとした問題がありました。『ハード・ノックス』を使って宣伝したい。でも、どうやって? ジョーダン・パーマーがプロデューサーのところへ行って「実は僕、あるスタートアップに出資してて、そこがある男のためにRunPeeっていうアプリを作って、うんぬんかんぬん」と言ったところで、プロデューサーの返事は「すごいね。でも番組とはあんまり関係ないかな」でしょう。
では、ジョーダンとお兄さんが一緒にインタビューを受けたら? そして「ある男」(私のこと)ではなく「we(僕たち)」と言ったら? プロデューサーも視聴者も、「僕たち」とはジョーダンとカーソンのことだと受け取るでしょう。実際には私とジョーダンの会社のことなのですが。嘘ではありません。これらは僕たちが一緒にやったことです。英語の人称代名詞の曖昧さまで、私たちのせいにされても困ります。:-)
というわけで、ジョーダンとカーソンがインタビューを受けました。プロデューサーと編集者はまんまと食いつき、その場面は編集でカットされずに残りました。
番組はまず東部時間帯で放送されました。アクセスが殺到して、サーバーがダウンしました。
中部時間帯:ダウン。
山岳部時間帯:これは持ちこたえました。いちばん人口が少ないからです。
太平洋時間帯:ダウン。
アクセスが多すぎてサーバーが落ちるのは、うれしい悲鳴というものです。
現在
トイレダッシュ (RunPee) には今、2,300本を超える映画のダッシュタイムがあり、アクティブユーザーは25万人です。そのダッシュタイムのほとんどは、今も毎週映画館の座席に座る私の家族によるものです。家族のことはトイレダッシュ (RunPee) ファミリーのページで紹介しています。
それでも、出発点は変わっていません。暗い映画館で身をよじりながら、「あのゴリラ、いつになったら死ぬんだ」と考えていた一人の男です。
